研究者が、中学生の”問い”に伴走する。渋谷区の新しい取り組み「探究専門教員」
「好き」がなくても大丈夫。探究の種は、日々の『個人の経験』の中に隠れている
渋谷区が全区立小・中学校で進める探究「シブヤ未来科」は、3年目を迎えました。子どもたちが自分の「好き」や「気になる」を出発点に問いを立て、情報を集め、整理し、まとめて表現する——そんな探究のサイクルを、学校の日常の中に根づかせていく取り組みです。
その探究「シブヤ未来科」に、令和8年度から新しい仲間が加わりました。「探究専門教員」です。大学院で研究に打ち込む博士課程の学生や修了者が、”研究のプロ”としての視点を持ち込みながら、中学校で子どもたちの探究に伴走します。全国的にも例の少ないこの取り組みは、いったいどのようなものなのか。制度のねらいと、実際に現場に立つ先生方の姿を紹介します。
探究専門教員とは

探究専門教員とは、博士課程(前期・後期)の学生、または修了者(満期退学を含む)を、探究学習を担当する教員として渋谷区立中学校に配置する取り組みです。研究のエキスパートである博士人材が、そのアカデミックなバックグラウンドを生かして、探究「シブヤ未来科」の指導や伴走にあたります。
ポイントは、研究との両立を前提とした勤務形態であることです。専門教員は非常勤の教員として週数日程度学校に入り、自身の研究を続けながら、その専門性を子どもたちの学びへと還元していきます。
区が描くねらいは、大きく三つあります。一つ目は、研究のプロが加わることによる探究「シブヤ未来科」そのものの充実です。二つ目は、優秀な人材の確保です。三つ目は、各校の教育活動の質の向上です。博士人材にとっても、研究を続けながら教育現場に関わり、自らの専門知を社会に開いていく——そんな新しいキャリアの選択肢が生まれます。
学校での役割は多岐にわたります。

「教える人」というより、子どもと先生のかたわらで一緒に考え、専門性で学びを一段深める伴走者。それが探究専門教員の姿です。

令和8年4月、区内の中学校に4名の探究専門教員が着任しました。専門は組織論、映像、教育工学、コンピューターサイエンス。それぞれがまったく異なる問いを追いかける研究者たちです。
新田 一洋さん(原宿外苑中学校) 専門|組織の研究
「新しいものを生み出す組織」のなかで、どんな学習が起きているのかを分析する研究者。人が集まり、まだ世にないものを立ち上げていくとき、その場でどんな学びが生まれているのかに注目している。
小田 浩之さん(渋谷本町学園) 専門|映画教育 映画監督にして研究者。「子どもが自ら映画を撮ることで、どんな学びが立ち上がるのか」を探究する。課題を設定するのではなく、つくりながら世界と出会っていく——アートの方法や発想を教育に取り入れる。
小林 真緒子さん(笹塚中学校) 専門|教育工学(東京科学大学) 大学生が地方の高校生の探究をオンラインで伴走する活動に取り組む研究者。年齢の近い世代どうしの間で、どんな学び合いが生まれるのかを解き明かそうとしている。
中田 裕紀さん(広尾中学校) 専門|コンピューターサイエンス(東京大学) 3Dプリンターやレーザーカッターなど、一人ひとりが手元でものを作れるようになった時代の「ものづくりと循環」を研究。つくっては壊し、また新しくつくる——そんな営みのなかに、人の暮らしの未来を探る。
4人それぞれのテーマは、研究の最前線であると同時に、子どもたちにとっては「こんな大人がいるのか」という驚きでもあります。研究に打ち込むその姿そのものが、子どもたちにとっての探究のロールモデルになっていく——そんな期待を背負って、4人は4月から各校の教室に立ち、子どもたちの探究に伴走し始めています。
着任から数か月がたった7月、4人の探究専門教員が区の研修に集まりました。話題のひとつになったのは、探究の出発点である「好き」です。探究「シブヤ未来科」では、子どもたちが自分の「好き」や「気になる」から問いを立てていきます。では、研究者である4人自身は、どんな「好き」から研究の道に入っていったのでしょうか。語られた道のりは、4人4様でした。まっすぐな「好き」から研究に向かった人もいれば、違和感や衝動が出発点になった人もいます。
コンピューターサイエンスを研究する中田さんの原点は、幼いころの遊びでした。祖父母の家で、毎週末に新聞紙とダクトテープで大きなテントを作る。作っては壊し、また作る——その繰り返しの面白さが、大学院でふとよみがえり、いまの研究テーマになりました。好きというより、原体験に近い感覚なのだといいます。
教育工学が専門の小林さんは、むしろ「違和感」から出発しました。人に教えることへの憧れはあったものの、深く探究したいと思ったきっかけは、中学時代に「点数を上げること」が目的になった学びへの、強いストレスだったといいます。うまくいかなさや引っかかりが、そのまま研究への入り口になりました。
映画を撮る小田さんに「研究は『好き』から始まったのか」と尋ねると、意外な答えが返ってきました。好きかどうかは、自分でもわからない。あるのはただ、内側から湧き上がる思い——自分の手で一つの世界をつくり上げたいという衝動が、映画にも研究にもつながっているといいます。
組織を研究する新田さんは、自身と研究の関係を「好きだけど、苦しい」と表現します。かつては好きな対象そのものを研究していましたが、それだけでは個人的な記録にとどまってしまうと感じた経験から、好きと社会とのあいだに折り合いをつける道を選びました。「向き合い続けたいテーマ」と向き合い続ける——それもまた、一つの探究のかたちです。
出発点はさまざまでも、共通しているのは、どの研究も、その人自身の体験や感覚と地続きだということです。自分の内側から探究を始めてきた人たちだからこそ、子どもたちが「好き」から一歩を踏み出すその過程にも、深く寄り添えるのだと思います。4人が教室で子どもたちとどんな探究を育てているのか ——実践については、これからの記事でじっくり紹介していきます。
研究のプロたちが、渋谷の教室で探究を広げ、深めていく。渋谷区の子どもたちと探究専門教員が共に進める学びは、まさに今始まったばかりです。これから、どうぞご期待ください。